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その優しさと気づかい 誰のためにもなっていなかったかも?!

前回の 夕飯いらない

の件で離婚した旦那との結婚生活を思い出しました。



私の根源にあるのは


誰かのために

何かのために

私ができる最大限を発揮する


なので、元旦那のワガママや無理難題に

なんの疑問もなく応えていました。




だから突然の 夕飯いらない なんてカワイイものだし

どんな時間のどんな場所への送り迎えだって

先を考えて全てを整えておくのだって

とにかく全てが当たり前でした。




でも前回の投稿の中で

再婚した主人が息子に言った



ママが一生懸命に夕飯の支度をしてくれている

それを当たり前と思うな!

支度をして待つ人のことを考えろ!

そういう状況を考えて

時には断る勇気を持て!



の言葉は ズシーン と

私の心にのしかかったのです。




きっと離婚した元旦那にはこんな言葉をかけてくれる人が

いなかったのでしょう。


さらに

私がなんにでも応えるので元旦那の中で全てのことが

より当たり前になっていったのでしょう。




結果

あの旦那を作り上げたのは私だったのではないか?!

と思い始めて…




イヤ、違うよね??


自分から行動する人なら

私が全てに応えなくてはいけない状態になんてならないもんね!

たまに応えられない時があるけど

それを

私の全てがダメな人間みたいに威圧的なことはしないよね?


でもそれすら許されると思わせたのかな…


分からない…




だけど確実に分かっていることは

息子にはそんな男にはなって欲しくないということ。


だったら何をすべきか??



それは



私は二の次でいいよ

私がやるからいいよ

という人(母親)をやめること


誰かのための私

ではなく

私のための私でいること




それは決して

息子や誰かのために何もしないという意味ではなく



私は私のために在るということを

きちんと私の軸として持つことを忘れずにいたうえで

どうするかということ




前の結婚生活での私は完全に


元旦那のために在る私


になってしまっていた。



それじゃあ誰のためにもならない。




それに子供たちは親の在り方をしっかり見ています。



だから



私のように在らねばならぬ と思わせないように

相手は母親のようにしてくれるはずと思わせないように

私は私で在らねばならない!



そんな風に思ったのでした。

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